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塾長のいきいき算数講座

南北海道創才セミナー①(R6/9/1)

 8月16~18日、北海道七飯町大沼国際セミナーハウスで開催された創才セミナーに行ってきました。現役教師時代からの念願が、今年やっと実現しました。

 第17回を数える創才セミナーは期待以上のものでした。当塾顧問細水先生の「親子で楽しむ算数ゲーム」は、いつどこで見ても楽しいのですが、ここでの授業は情熱マックス、格別に見えました。

 このセミナーの第一回は、平成18年、南北海道創才教育推進会により、数理科学振興会と算数オリンピック委員会との共催で開催されました。「創才」とは、広中先生の教育哲学で、「自分の隠れた才能を発見し、創り、育て上げること」を意味しています。

 その理由は、まず理数教育を推進していこうとする情熱のすごさです。会長は、公立はこだて未来大学の理事長兼学長の鈴木恵二先生です。この大学は、システム情報科学部のみの単科大学で、先生や学生さんからは理数最先端の香りがプンプンしていました。

  もう一つは、このセミナーハウスのロケーションです。北緯42度にあります。これは、ハーバード大学のあるマサーチューセッツ州ボストンと同緯度で、MITもあることを考えると、ノーベル賞受賞者を最も多く輩出している緯度帯と言えるそうです。もしかすると、このセミナーの受講者からノーベル賞受賞者が生まれるかもしれません。

 細水先生は自校の四~六年生15名を連れて来ておられました。明星小MATHキャンプとして算数三昧のデラックスメニューです。平成14年から松江に迎えて研修会をしている者からすると、「どうして島根じゃないの?」と、ちょっとした嫉妬心を感じますが、夢を描くには、広中平祐先生、大沼国際セミナーハウス、南北海道創才教育推進会に敵いません。そんな素敵な場所でした。

       

あー夏休み(R6/8/1)

 

 学校は夏休みに入りました。私が勤務している小学校は、9月2日が始業式で、いつもの年より少し長めの夏休みです。パリオリンピック割り増しというところでしょうか。

「あー夏休み」「何とも言えないこの解放感」と、現役時代には思っていました。しかし今は、給食も非常勤講師収入もゼロなので、暇を持て余し、「あー」も、ため息混じり。ですが、私の「あー」は、幸せな方に分類されます。

 というのは、同級生のおばあちゃんの話なのですが、いつもは下の孫を保育園に送ってからパートに出かけ、それが終わると施設のお母さんのところに行って、小学生のお兄ちゃんが帰ってくるまでに家へ帰るという毎日だそうです。それが、夏休みには、朝から上のお兄ちゃんが家にいる。こうなると悲鳴混じりの「あー」です。

 学童保育があるじゃない、と簡単に考えますが、普段行っていないと馴染めないらしく、孫に泣かれると不憫でたまらない、そのおばあちゃんの気持ち、よくわかります。

 私が子どもの頃は、蝉取りも、釣りも、野球も、ラジコンも、子どもたちだけでした。親の仕事は、夕食近くになっても帰って来ないときにさがし回ることだったと思います。それも、こっぴどく叱られた記憶があるので、そんなに頻繁ではなかったと思います。

 今はそんなわけにいきませんよね。虫捕りに連れてって、図書館に連れてって、プールに、映画に、寄席に、親もその親もスケジュール作成に苦慮しておられると思います。

 そんな時は、松江算数活塾の北田町教室を気分転換に入れてください。多少、年寄り話に付き合っていただきたいですが、セールスはいたしませんのでご安心ください。うれしいことに、同級生のおばあちゃんもお孫さんを連れて寄ってくれます。買い込み過ぎたオレンジジュースを減らすのにご協力いただけるとうれしいです。

 赤ちゃん同伴でも、大人だけでも、どなた様でも大歓迎です。あー夏休み。暑中お見舞い申し上げます。

開業1周年(R6/7/15)

 

 昨年の7月9日、テクノアークしまねにおいて大人活塾を開催しました。松江算数活塾はそこで産声をあげたわけですが、その時は大雨で、予定してくださったのにお越しいただけないお客様が何人かいらっしゃいました。そして、今年、同じ7月9日、また記録的な大雨に見舞われました。皆様のところは大丈夫でしたか?被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 その大人活塾で、「一周年には歌手の木山裕策さんのコンサートをします」と宣言いたしました。あの頃は自己満足の夢だけ描いて調子に乗っていました。もちろん全くのデタラメにするつもりはありませんが、何よりも、お客様に集まっていただく経営能力が欠けていました。

 今も、特に算数教室は、積極的な宣伝をしておりませんが、それでも一年続き、途中退会もないことに、喜びと、ちょっぴりの自信を感じています。

 松江算数活塾をわざわざ選ぶ生徒です。心構えが違います。ファーストメンバーの生徒は、4月に入会の下学年に対して、「ここは答えを言うところじゃないんだよ」「考えるときには、考えるための準備が必要なんだよ」と言ってから説明を始めるほどです。もうすっかり活塾マインドがしみこんでいます。

 松江算数活塾の算数は、学校で取り扱っている算数とは大きく異なります。「できる、わかる、楽しい」だけでは通用しません。「わからない、困った」をくぐらないと、その先にある味わい深い楽しさに到達しないのです。

 先月の算数オリンピックジュニア部門では正答率0%の問題も含まれるほどの難問ぞろいに涙を流した生徒もいました。勝ち負けで言えば大敗でしたが、惨めな負けではありません。たくましく来年を、そして、もっと先を見つめる姿に確かな希望が見えました。思考力の花ひらくときを常にイメージして、2年目を突き進んでまいります。 

出雲かんべの里(R6/7/1)

 

 5月に「もうここまで来ちゃった」と、頂上を極めたような気分でいましたが、この山、どうも槍のようにとがった山ではないようで、頂上が高原のように連なっています。6月15日には出雲かんべの里に呼んでいただきました。

 上定市長も2度目のお越しでした。もちろんどなたも特別なお客様ですが、市長だとちょっぴり「特別多め」でお迎えしちゃいます。でも、今回もっと特別多めな方がいらっしゃいました。それは出雲かんべの里錦織明館長です。

 教員としては憧れの大先輩です。平成11年仁多町立高田小学校で博報賞を受賞、その後玉湯町立大谷小学校長になられました。複式教育に学ぼうと志した私にとっては、錦織先生の学校経営そのものがモデルであり学術書でした。

 さらに、平成28年度山陰中央新報社地域開発賞「教育賞」受賞、現在も紙芝居師として郷土愛を伝え、対面で心を通じ合わせる活動の先頭を走っていらっしゃいます。

 その館長さんに「いいことやってる」と褒めていただきました。電気が走りました。とても幸せな気持ちになりました。本当にいきいき寄席のおかげです。続けて、「ばけばけで人気急上昇の…」と言って、「教育賞」受賞記念著書「紙芝居で伝える小泉八雲の世界」をサイン入りでいただきました。活塾の教室にありますので読みに来てください。

 今年は小泉八雲「怪談」出版120年、いきいき寄席もこの年を盛り上げようとしています。対面で心を通わす文化の担い手として、ますますはりきってまいります。

        (川上宜久)

もうここまできちゃった(R6/6/15)

 

 松江算数活塾「いきいき寄席」は、島根県立大学のお話レストランに続き、松江市立図書館の読書週間イベントに呼んでいただきました。一年も経たないうちに、このステージにまでたどり着けるとは思ってもみませんでした。

 私たちは、国語を軸にした算数と落語の教室を展開しています。ですから、国語教育のハブの役割を担う図書館に招かれたことは、とてもうれしいことでした。これが野球のクラブチームなら、決勝戦に進んで、ドーム球場で試合ができるといったところでしょう。

 算数にしても落語にしても、キーとなる力は読解力だと思います。しかも、算数の説明力、落語の表現力を育てるために読解力を高めるのではなく、読解力を育てるための一手段として、算数や落語を取り扱っているという感覚でいます。

 今の教育施策では、「主体的・対話的で深い学び」が強調されています。その具体的な姿がいきいき寄席に見られたのではないでしょうか。インプットよりもアウトプット。教育のトレンドは、良質で効率的なインプットから、個性的で効果的なアウトプットに確実に移ってきています。想像力という脳内増幅を使って、入力→増幅→出力→さらなる入力→増幅→出力を繰り返す単純なサイクルですが、入力ではなく、その出力の場を図書館でいただいたことは、私たちのエポックとなりました。

 でも、早とちりは禁物。まだお相手はお試し段階かも。次呼ばれてこそ、ほんものですよね。次呼ばれますように。

算数オリンピック(R6/6/1)

  毎年4月に行われる全国学力学習状況調査が終わりました。今のような全国の小中最高学年を対象として行われるようになったのは、平成19年(2007年)からで、私が教育事務所の指導主事となる前年でした。当時は、主として知識に関する問題「算数A」と活用に関する問題「算数B」に分かれていて、松江算数活塾の「活」は算数B問題に強くなるという意味も込めました。

 当時から島根県は算数B問題が弱く、未解答も目立っていました。県教育庁数学担当者は、解答スピードよりも、じっくり読んで詳しく説明する力を育てたいという願いをもち、平成21年からしまね数リンピックをスタートさせました。現在も10月末に行われています。

 その時にモデルとしたものが算数オリンピックです。フィールズ賞受賞者の広中平祐氏や大道芸で数学を親しみやすいものにしたピーター・フランクル氏の提唱で平成4年(1992年)に始まりました。

 制限時間は90分、合格ラインは60点、それをそのまま参考にしました。日頃は、5行を超えて解答することもなく、45分の制限時間を半分以上余らせるような算数テストを受けている子どもたちです。90分では時間が足りないテストを受けること自体初めてという子が大半でした。その反応は…、

「学校ではふだんやらない問題で楽しかった」といった感想が多く見られ、難問に出合えたことによろこびを感じる子どもが多くいました

 その算数オリンピックを6月16日(日)に島根県で初めて開催します。いつものような点数はきっと取れないでしょうが、世の中にはこんな問題があるんだ、と知るだけでも価値あることだと思います。塾生外、中学生の参加も大歓迎です。

 松江算数活塾は、これからも算数オリンピックを盛り立てていきたいと考えています。

笑福亭喬若さん(R6/5/15)

 ピカピカの一年生を迎えてわくわくムードの新年度、松江算数活塾の「にこにこ寄席」に、笑福亭喬若さんが駆けつけてくださいました。たいへんありがたいことです。

 私が喬若さんと出会ったのは、高尾小学校勤務の一年目、全校落語を始めた功労者である卒業生へのはなむけとして招いたときでした。

 もしかすると芸人さんにとって真面目は褒め言葉ではないのかもしれませんが、喬若さんはとても誠実で、篠笛が上手で、芸にまっすぐな方です。子どもたちに対しても、録音や録画で、落語通信添削までしてくださいました。

 それから、喬若さんを追っかけて何度か大阪に行きました。通天閣の地下、ハルカスのまん中よりも下の方にも行きましたし、「落語家と行くなにわ探検クルーズ」という遊覧船にも乗りました。落語家と行く…と看板に書いてあるので、お客に話を聴く自覚が必要だと思いますが、自分たちのおしゃべりに夢中な人が大勢でした。そんなお客様の前でも、喬若さんは小ネタを機関銃のように繰り出します。プロはこういうところでも芸を磨くんだと感心しました。

 喬若さんは、一昨年まで小学校のPTA会長でした。「暇だからですよ」なんて言ってますが、人望もあり、請われたら嫌とは言えないのでしょう、区のPTA協議会会長まで務めあげています。

 趣味は、草野球。キャッチフレーズは「落語界の松坂大輔」。京セラドームのマウンドにも立ったことがあるとかで、師匠の笑福亭松喬さんもラジオ解説までされるオリックスバファローズの大ファン。私もファンクラブ会員なので、きっとオリックスファンでつながっているものと思っていたら、喬若さん、まさかのジャイアンツファンでした。尼崎出身なのにジャイアンツとは…。幼少期に何があった?

博報賞(R6/5/1)

 

 博報賞の表彰式は11月に行われますが、その応募〆切は6月です。高尾小落語活動の応募原稿をまとめて2年になりますが、この季節になると気持ちがそわそわして落ち着きません。あの時は、夜に昼を継いで書き、人生でこんなに頑張ったことはないという日々でした。今も〆切に追われる夢をみて、起きると寝汗をどっとかいている、そんな朝をよく迎えます。

 博報賞は、もともと「ことばの力を育むこと」を顕彰するもので、島根県では、昭和49年に八雲小学校が受賞して以来、17の団体が受賞しています。

 高尾小学校に博報賞と副賞百万円を残せたことは大きな喜びでしたが、私はもっと大きなものをいただきました。それは、審査していただいた東風安生先生と事務局長の成岡浩章氏とのご縁です。受賞後、お二人には高尾小学校での祝賀公演と東京公演でお世話になりました。東風先生は、早稲田実業学校初等部第1期生1年1組の担任で、離島経験もあり、複式教育を研究してきた者にとってはお聞きしたいことが尽きませんでした。そして、その仲を取り持ってくれたのが、博報堂の成岡さんです。とてもフレンドリーで、東京で飲みましょう、東風先生に会いに北陸大学学長室へ行きましょうと誘ってくださいます。

 その一流の広告マンが、四月には東林寺の寄席を見に松江まで来てくれました。袖からスタッフのように見守って、いきいき寄席と噺家さんたちを絶賛してくれました。とてもありがたいことです。

 その成岡さん、きっと今頃は、博報賞の応募要件審査で大忙しのはずです。どんな応募も門前払いしない博報賞。応募が多ければ多いほど仕事が増えますが、それを喜びに変換できるところが、24時間戦うトップビジネスマンのすごさですね。

 うなされる夢でも、見られるのは、ありがたいことです。

新年度ごあいさつ(R6/4/15)

 

 新年度を北田町の新教室で迎えました。アパートの一室で随分狭くなりましたが、こうして今年度も松江算数活塾を続けられることを素直に喜び、気持ちを引き締めて新年度をスタートさせたいと思います。

 松江算数活塾は、去年、「令和5年度地域課題解決型しまね起業支援事業」の補助金申請をし、6月30日交付決定直後の7月1日に開業いたしました。おかげ様で結構な額の補助金がいただけたのですが、補助率が50%なので、結構な額のお金が財布から出ていきました。

 野暮ったい話をしてしまいましたが、その決定通知を受けたときの気持ちは、お金のことよりも、私たちの取組が地域課題の解決に資すると認められたという喜びでした。

 地域課題とは、ズバリ、島根県内小学校の算数達成度の低さです。特に応用問題は、大都市圏との差が大きいです。県内の塾を見渡しても、多くが補習塾。都会の進学塾レベルの塾はわずかで、SAPIXや日能研レベルは見当たりません。

 そこで、県内初となる算数思考力検定を開催し、長文文章題で定評のある「算数ラボ」を教材とした「算数教室」を展開しようと考えました。今年度はさらに、算数オリンピックも県内初の認定会場として開催します。めざすところはまだまだですが、算数思考力検定、算数オリンピックのパイオニアとして、島根県が課題としている「応用問題クリア」に向けての気運醸成を図りたいと思います。

 落語教室については高尾小学校勤務時代にパナソニック教育財団の全国大賞を受賞しています。その教育クオリティーには自信があります。落語教室の方は情熱いきいき指導で子どもたちの想像力・表現力を高め、いきいき寄席で多くの人との心の交流が生まれる場をつくりたいと考えています。

 松江算数活塾の活躍にご期待ください。             

松江算数活塾ごあいさつ

思考力検定合格者4名誕生(R6/4/1)

 当塾は、算数思考力検定合格を一つの目標に掲げていますが、その初年度に4名の合格者が誕生しました。個々の努力はもちろんですが、一人一人の優れた学習姿勢が実を結びました。

 算数思考力検定とは、3大検定「英検、漢検、数検」の中にある「実用数学技能検定」とは別につくられたものです。開始時期こそ1990年代の初め頃と、二つの検定は共通していますが、思考力検定の方は、科学的能力の伸長を期して、フィールズ賞を受賞された広中平祐先生の提唱で創設されました。

 数検は、合格率5%ともいわれる難関検定で、大学の理系学生でないと難しい上、応用問題だけでなく計算技能も問われます。小学生に関しては、算数検定(6級~12級)が設けられていて、これらは、数学検定が下に延びてきたという側面があります。

 思考力検定は、小・中学生を対象に創設されました。10級から準2級(高校一年程度)の検定が行われ、高校段階にまでは延びていません。これは、数学オリンピック財団が行っている、高校生対象の「数学オリンピック国内大会」「数学オリンピック国際大会」へのつながりが意図されているからです。

 数学オリンピックが意識されている算数思考力検定の問題は、文章題がほとんどで、かなりの長文も含まれます。問題場面の状況を理解するだけでもむずかしく、慣れが必要になります。一発合格は難しく、今年度、2度目の受検で合格した人は3名でした。結果通知には、同じ合格でも「金」「銀」「銅」の評価が添えられるのですが、全て「金」か「銀」でした。合格余力をしっかりと蓄えた証です。

 上位級はさらに難しくなります。でも、「難しい問題こそ楽しい」「初めて見る問題はわくわくする」という心持ちで、間違いや不合格などにくよくよしない挑戦を期待しています。                                      

授業職人魂(R6/3/15)

 

 定年退職をして一年が経ちます。小学校の先生になることが夢だったので、65歳まで学級担任を張るつもりでいましたけれど、自動的になれるものではないらしく、懸賞論文に没頭している間にその機会を逃していたようです。幸い、博報賞、パナソニック大賞のW受賞を果たし、高尾小学校の東京公演も果たせました。我が教員人生に悔いなし、有終の美に浴すだけの第二の人生も悪くないと思いました。

 ですが…。出会っちゃったんですよ。しまねっこちゃんに。

 一畑百貨店に架かる横断陸橋にしまねっこの横断幕がかかっていて、「講師募集」とありました。導かれるままにネット登録すると、丁寧なお願いの電話がいただけて、非常勤講師決定となりました。経歴を考慮されてか、あちこちの学級の算数授業に関わる仕事が与えられました。

 算数の授業を週五時間まるごとまかされるわけではありませんでした。3学年12学級の算数を一時間ずつ授業してまわるというオーダーでした。ざっと計算すると、年間350時間オーバーの飛び込み授業をしたことになります。

 学級担任をせずに、その時その時の注文に応じた単品授業の連続では、「ちかみちよりもまわりみち」といったクオリティーの高い授業は提供できませんでしたが、わずかな時間で算数の魅力に引き込もうとする工夫は今までになく鍛えられ、基本中の基本をぶれずに提供できたと思っています。

 落語教室の指導に「場数を踏む」というのがありますが、退職後にこれほどの場数を踏めるとは思ってもみませんでした。

 どんな注文にもキレのある、粋な授業で応えられる。そんな職人をめざして、また、しまねっこちゃんのお誘いにのってみようかな。

顧問細水保宏先生(R6/3/1)

 

 「細水保宏を知っていれば、一流の算数・数学教育研究者である」という命題は必ずしも成り立ちませんが、「一流の研究者ならば細水保宏を知っている」という命題は、必ず成り立ちます。

 細水さんは、かつて筑波大学附属小学校算数部(以下算数部)で、千人を超す超満員の教員を前に公開授業をしてこられました。現在は明星小学校を「算数の明星」とブランディングする校長先生、日本数学教育学会では講習会講師として、教員が範とするトップリーダーです。

その先生がなぜ、地方のちっぽけな学習塾の顧問をしてくださり、しかも年に2回も来てくださるのか。

 私は、算数部が毎年行う全国算数授業研究会で幹事を務めたご縁で親しくなり、平成14年には、その松江版「夏期算数授業研究会」に、指導助言、講演講師としてお迎えすることができました。以来、東京と松江で算数の指導を直接受けています。

 その教えの中から、私が追い求めたいのは、「楽しさを味わう」ということです。私は特に「味わう」ことに魅せられました。

 「快」の感覚を覚えるのは、考えている最中よりも思い起こしているときだから、そのときにどんな言葉がけをするかで味わい深さがずいぶん異なる。子どもから考えを引き出して価値づける、子どもが味の余韻に浸っているときに、気の利いた言葉がかけられる、そんな粋な授業、粋な先生をめざし続けています。

 松江算数活塾では、思考力検定問題や、細水さんが会長を務められるガロアの会の問題集も活用して演習しています。比較的長文で問題に含まれる情報量が多いこともあって、子どもの取り組みを認められるシーンも多い。このように最高レベルの演習を行っていますが、「答え」が合っていることよりも「仕方」の獲得、「仕方」の獲得よりも「仕組み」の理解、それを島根にいながらにして味わうことができるようにしたい。それが細水顧問はじめ私たちの願いです。

 来たる3月3日(日)の午前中には算数教室会員生徒向けの算数授業を、午後1時30分からは「大人の算数活塾」「おもしろくて浜っちゃう算数(横浜だけに)」を、テクノアークしまねを会場にして開催いたします。みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

99%の小学生が気づいていないこと

統計グラフのカラクリ

 先生は数多くの著作がありますが、一昨年Z会から99%の小学生は気づいていないシリーズ『統計グラフのカラクリ』が発刊されました。

 統計と言うと小学校では平均を求める場面が思い浮かぶことでしょう。平均を小数第一位まで求める問題では、小数第二位を四捨五入する手順が徹底され、5.5は〇、5.4は×と、本来「数をまるめて見る」ところに醍醐味があるはずの学習が、99%の小学校では角張った算数指導がなされています。

 日曜朝の情報番組で、(株)カインズの商品開発に徹底的なデータ集積が行われていることが取り上げられていました。缶ビールの直径など、引き出し収納品を徹底的に調べて7の倍数の法則なるものを導き出し、仕切りボックスのサイズ設定に活かしてガッチリという内容でした。

 先生の本には、ナイチンゲールが看護の仕事に統計を活用したことが紹介されています。兵士の死亡原因が戦争による負傷よりも病院内での病気感染の方が多いことから、病院の衛生状態の改善を政府に働きかけたという内容でした。

 どちらも、統計という学問を「活用」に結びつけて、望ましい未来を創りあげています。算数の美しさ、奥深さを感じます。

 しかし、99%の小学生はそれに気づけていません。その原因の一つに「できる」「わかる」、しかも「はやく」「かんたん」「せいかく」に、という「は・か・せ」の「答え」重視の算数観があると思います。先ほどの5.4を「ほぼ〇」として取り扱うと、クレームの嵐なのです。

 統計の学習は、数を動かしてみようとするきっかけに有効です。数に対してここからここまでという公式的な解答はなく、資料の性質や調査の目的に照らして柔軟に対応しなければいけません。算数の見方・考え方をフルに発揮して「数に柔軟に対応できる」ように育てることは、寛容の心を育み、人生をフレキシブルに生きていく態度につながります。

 99%の仲間がいる方が安心かもしれませんが、算数・数学の未来、自分自身と世界の未来を豊かにするために、1%の仲間入りを果たしてほしいと願っています

里語と算数

 第四回活活寄席には多数ご来場いただきありがとうございました。

 里みちこさんと民間塾とはどう考えても結びつきません。松江算数活塾主催としましたが、なるべく目立たない立ち位置にいようと思っていました。その思いからでは決してないですが、私は詩展前夜に転倒し、救急搬送され、里さんをお迎えできませんでした。

 最終日の最後の詩語りの時にやっと会場に行くことができたのですが、里さんは笑顔で迎えてくださいました。あべこべでした。しかも、「転んじゃったの。私も。転んじゃった同士ね。」と。もうそこで涙がこぼれます。一瞬にして里ワールドの懐の中に迎え入れてくださいました。

 里さんは、算数活塾にたくさんのお土産を持ってきてくださいました。*友愛数で仕立てられた「いのちの四季」は、ギャラリーあいえんきえんの離れの長押にピッタリ収まり、「新しいことを始めるのはたいへんなことだけれど、がんばりなさい」「わたし今回新たに作ってきたのはこれだけなの」と、算数活塾とのご縁を友愛数で結んでくださいました。ますます算数を磨いて、里クオリティーまで高めなければいけません。

 まず、最初に思い浮かんだのは重さの授業です。「重さの計算ができなくても、地球より重いものがわかる方がずっと大事」と言っていた昔を思い出しました。その時、里語を駆使できていたのなら、もっと重厚で上質な算数授業ができていたのにと思います。

 いのちの四季にふれ、里ワールドを国語、英語、数式、…、里語によってテレポーテーションのように飛び回る心地よさを感じました。里語を使って算数授業も変えてみたいと思います。地方にいながらにして最高レベルで最高クオリティーの算数を提供すると言っていたことに嘘はありませんが、上にはもっと上がありました。

*友愛数…異なる2つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しくなるような数。親和数。最小の友愛数の組は(220,284)

                 

創(きず)から

里みちこ「創から」

 

 多くの人に迷惑かけて、里さんとの大切な時間が失われ、すごくすごく痛かったのに、とても幸せだったという、とてもわかりにくいお話を聞いてください。

 里さんを迎える前日に、非常勤講師先の慰労会がブッキングされていて、そこで算数の話をいっぱいしてやろうと、詩展の準備はどこか上の空でした。結局、準備は人任せにして、飲み会の方に向かいました。

 飲み会では、若い先生から持ち上げられ、飲めもしないのにトップギア。気が付いたら床に伏せていました。

 救急車が来ますから、と起こしてくださった店長さんに、キャンセルしてとお願いしたのですが、顔を拭いたおしぼりが真っ赤になったことと、救急隊の方に「(救急車を)店の真ん前につけてください」の言葉がとてもかっこよくて、店長さんのおっしゃるとおりにしました。

 救急搬送は初めての経験でした。体は固定され、痛みもあって窮屈なはずですが、安心感に包まれて幸せな気分でした。受け入れ病院もすぐに決まって、あっという間に到着。

 救急隊の方も、ドクター、ナースの方々も、その処置するスピードとは対照的な、アンダンテのリズムで、とてもやさしい言葉のシャワーをかけてくださいました。

 酔っ払いにですよ。もったいないことです。自業自得なんですから。それにですよ、そこに寝ている男は、かつて、膝をすりむいて泣いている子に、「あんたが靴紐をちゃんと結んでないからだよ。我慢しなさい!」と、担任の子どもをあんた呼ばわりするような教師だったんですよ。診てやらなくていいです。それなのに、酔っ払いであろうが、誰彼の区別なく、慈愛の精神を降り注いでくださいました。ありがたいことです。もったいないことです。

 鼻骨骨折でしたので、激痛を感じることもありましたが、悲しい感情とか、悔やまれる感情はありません。ホスピタリティーに包まれたことが思い起こされ、気持ちのよささえ感じるほどでした

 里みちこ詩展には、最終日ぎりぎりで行くことができました。バス停から歩いて向かうと、納屋の二階からかけられた「創から… 絆」のタペストリーが目に飛び込んできました。

 ぼくのために。そんなことあろうはずもないですが、傷つくことから気づくこの三日間、全てが自分のことのように思えました。ありがたいことです。もったいないことです。 

創からの詩、絆の字

 

里語とぞうきん(R6/2/1)

オイラーの等式

 里語シリーズを足かけ2年に渡ってお送りしています。今回もビッグなお話です。

 松江算数活塾の教室には、里さんからいただいた何ともスケールの大きいぞうきんがあります。それは、なんと、オイラーの等式が刺繍されているぞうきんです。オイラーと聞いただけでスケールの大きさは感じていただけるでしょうけれど、もう少しオイラーの等式について解説させていただきます。

 数学は、計算法則や方程式の解き方などを研究する代数学、図形や空間について研究する幾何学、微分や積分などの関数について研究する解析学の3分野を基本にして構成され、その3分野のそれぞれの研究によって、代数学からは虚数単位「i」が、幾何学からは「π」が、解析学からはネイピア数「e」が誕生しました。

 1748年オイラーの等式は発表されましたが、数学の3分野から誕生した特別な数が、極めてシンプルに表現されているので、人類の至宝とも呼ばれています。

 そのオイラーの等式がぞうきんに刺繍されているんです。

「とてもスケールの大きいぞうきんですねえ。」

「そうなの。ぞうきんは大きいのよ。」

「?!」

「ぞうさんよりも」

「?!」

「ぞうさん+一=ぞうきんでしょ。ぞうさんよりも1大きいの。」

里語に導かれ、複素平面を飛び出して、里ワールドを飛び回っています。

伝説の算数教科書

 現在検定合格している算数の教科書は六社ありますが、戦前は文部省図書監修官が国定教科書としてたった一つの教科書を作成していました。

 その国定制度下において、のちに伝説の算数教科書と呼ばれるものが誕生しています。それは、昭和十年から使われた『尋常小学算術』通称緑表紙本と呼ばれるもので、島根県出雲市出身の塩野直道先生によるものでした。

 この教科書が「伝説の…」と呼ばれるようになったのは、昭和11年にノルウェーオスロで開催された国際数学者会議において絶賛を博したからです。

 その世界から認められた伝説たるゆえんはいくつもありますが、まずはその美しさに目を見張ります。私は平成20年に再復刻版を求め、手にしましたが、その時の感動を忘れられません。

 小一上は挿絵の範疇を超えた絵と数字のみで、説明的な文章は一切ありません。2分かけてパラパラめくってみても感動しますが、2か月かけて授業することを想像するとワクワクが止まりません。一言の説明がなくても、むしろ、ないからこそ数理思想を育む扉をどう開けてどう歩み出すべきかが明確に示されていると思います。

 私の教育観も変わりました。180度変わったという転換点ではなく、照準が0.2度ほど補正されたような感覚です。今後も精度を究めて算数と向き合います。


塩野直道先生の崇高な数理思想

 

伝説の教科書「緑表紙」、その伝説たるゆえんその二のお話です。

 小一上巻の全ての頁が美しい絵で構成されている緑表紙本ですが、文字がないということは、幼児期との接続に配慮せよという、今のスタートカリキュラム的な意味を持っているのでしょうか。もちろん塩野先生の視野には入っていたと思いますが、私は、もっと高い次元を感じました。「空高くへと子どもたちを導いて算数の世界を俯瞰サセナサイ、小一上巻はその滑走路として取り扱ヒナサイ。」いったような。

 では、緑表紙がどれだけの高みまで導いていくのか見てみましょう。

問題

「あるところに1本の木が生えた。最初の1年に高さが1メートルとなり、次の1年に50センチのび、その次の1年に25センチのびるというように、毎年その前年に伸びた長さの半分だけ伸びるものとすると、この木はどこまで伸びるであろうか。」

緑表紙本巻末問題

   これは、小6下巻の巻末問題です。

 どうです?すごいでしょ。小学生で極限をとりあつかっています。しかも、有限です。2メートルに収束する場面の問題です。当時の子どもたちは、いったい何年まで調べていったのでしょうか。

 今の子がこの問題に出会ったならばどうでしょう。知ったかぶりで「無限」と言って、試しや調べをおっくうがる子どもならば、塩野先生の数理思想には到底たどり着けません。

 私たち松江算数活塾は、できれば10年、少なくとも7年目までを調べてみてから考えるような子どもを育て、塩野先生の期待にこたえたいと思います。

 では、伝説たるゆえんの二つ目は、…

塩野直道先生が残されたもの

塩野直道先生

 

 昭和10年から使用された緑表紙「尋常小学算術」が、島根県出身の塩野直道先生によって作り上げられたというお話をシリーズでしております。

 その少し前、昭和8年から使用された国語の教科書、「サイタサイタサクラガサイタ」の「サクラ読本」も、島根県出身の井上赳先生によって作り上げられました。

 同時期に国語と算数の国定教科書が島根県出身の文部省図書監修官によって編纂され、どちらも不朽の名教科書と呼ばれることは、島根県の小学校教員が誇りとするところです。

 しかし、その教科書も大戦下において新たな教科書に変わり、終戦後の墨塗り時代、暫定本時代を迎えてしまいました。新たな学習指導要領の策定も進みましたが、お二人の先生はそのレベルの低さに驚愕し、嘆かれました。

 そこで、井上先生は日本書籍から「太郎花子国語の本」という新企画の教科書を、塩野先生は啓林館の取締役に就任し、「算数」「数学」教科書編集を主宰されました。どちらも学習指導要領の水準を超える気概あふれるものでした。

 こうして日本が教育分野においての戦後復興を短期間で遂げることができたのも、島根県が誇る両先生が、後回しになりがちな初等教育ダメージを最小限にくい止め、レベルアップを図ってくださったからこそと思います。

 塩野先生は、昭和41年の日数教大会で、算数教育の目的を「数理的な面を通して人間の知性を開発する」と講演しておられます。私たち松江算数活塾は、高いレベルとクオリティーを守る使命を自覚し、人間の知性を開発する役目を担いたいと考えています。

算数教科書物語

てん、てん、てん

 今私は、公立小学校で緊急対応非常勤講師として働いています。緊急対応といっても、その学校に何かあるわけではなく、教師不足を補うパートタイマーとして、算数の授業を中心に年間975時間の授業契約をしています。

 3年生の学級で算数の授業をしていたときのことでした。ある子のノートを見ると、彼は

 22÷ 3 = 7・・・ 1

と書いていました。

「・・・   」

 これ、読めますか?

「読めないはずないじゃないの」と思われたあなた、もしかしてあなたは島根県出身の昭和世代ではありませんか?

 このざっくりプロファイリングの根拠は、教科書にあります。私が大学生のころ、関東出身の同級生は、・・・ を「あまり」と読めませんでした。なぜなら、彼の教科書は啓林館ではなかったからです。

 どこの教科書を使うかという教科書採択が行われるようになってから長らく島根県は啓林館一色でした。今は啓林館教科書も22÷ 3 = 7あまり1と表記が変わりましたけど、県内には、22÷ 3 = 7・・・  1と習った大人が大勢います。3年生の彼も啓林館教科書でしっかり学んだ大人から学んだんですね。

 啓林館教科書には、暗算重視、応用力重視で抽象度ちょっと高めという特徴があります。松江算数活塾では、6社ある教科書のいいとこどりをして授業に生かしています。 

             (塾長 川上宜久)