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天野和子

大人が読みふける児童文学

プラム・クリークの土手で ーインガルス一家の物語ー

 NHKで放送されたアメリカの人気ドラマ「大草原の小さな家」のもとになった物語です。作者はローラ・インガルス・ワイルダー。アメリカ開拓期に子ども時代を過ごし、自らの体験をもとに本を書きました。福音館から出ているこのシリーズはローラ五歳の『大きな森の小さな家』に始まり、『大草原の小さな家』、『プラム・クリークの土手で』『シルバー・レイクの岸辺で』と続きます。3巻目にあたるこの本では、七歳になったローラが町の学校へ通うことになります。ドラマでよく見ていた学校の様子やオルソン氏の店、意地悪でいけ好かないネリー・オルソンも登場し懐かしさ満載なので、今回はこの巻を紹介します。

 ローラの家族は、父チャールズ、母キャロライン、姉メアリイ、妹キャリー、そして犬のジャック。五人と一匹はよりよい場所を求めてあちこち移り住んだ後、ミネソタ州のプラム・クリークの土手にできた家に落ち着きます。町にも近いこの土地で新たな家を建て、畑を作ってくらしていこうと希望に満ちています。それにしてもローラのおてんばぶりはきわだっています。父さんが積み上げたわらづかをころがり落ちる遊びをしてばらばらにしてしまったり、好奇心で浸かったクリークで流されかけて、身体じゅう水浸しで家に帰ったり。やってみたいローラの気持ちにうなずきながら、ローラにかける父さん母さんの言葉にも愛情を感じながら読みました。

 何でも自分たちで作るくらし。母さんが揚げるはちみつ色のヴァニティーケーキはとてもおいしそう。古いシーツや小さくなった子ども服は素敵なカーテンに生まれ変わります。ある日ローラとメアリイは母さんがためたボタンの箱をもらいました。そのボタンでキャリーへのクリスマスプレゼントを作る二人。ボタンのネックレスをもらって喜ぶキャリー。ローラとメアリイが下げておいた靴下には、夢のように美しいキャンディーが六つずつ入っていました。質素ですが心が温かくなる素敵なクリスマスです。

 一方で自然とのたたかいの厳しさは想像をはるかにこえます。順調に育った小麦は、収穫目前に襲来したイナゴの大群に食べつくされてしまいます。収入を閉ざされ、父さんは三百マイルも歩いて出稼ぎに行きます。父さんがいない間、家と家族を必死に守る母さん。連絡手段もない当時、届かない手紙を何日も待つ家族。父さんは幾度危険な目にあっても必ず家族のもとへ帰ってきます。強くてやさしい父さん。ドラマの父さん役マイケル・ランドンもとても素敵で、理想の父親と憧れたものでした。

(『プラム・クリークの土手で インガルス一家の物語3』ローラ・インガルス・ワイルダー作 恩地三保子訳 福音館書店 小学中級から)

               児童文学愛好家 天野和子

ハイジ

 アルプスの少女ハイジの物語ならよく知っている、と思い込んでいたのです。子どもの頃からテレビで親しんだ「ハイジ」、あのアニメは今考えても名作でした。その原作をまだ読んでいないことに気づき、完訳本を手に取ったのは最近の事です。アニメの愛らしいハイジの姿と一緒になつかしい物語が思い出されました。それだけでなく、自分が年を重ねたせいもあるのでしょうが、あらすじは知っていた「ハイジ」が、これまでよりもずっと深い物語として、新しい感動を運んできてくれたのです。完訳本を読むということはこういうことかと改めて思った体験でした。

 親を亡くしたハイジは、アルムの山小屋に住むおじいさんに預けられます。ハイジは本当に天真爛漫。おじいさんやペーター、動物たちと心を通わせながら、大自然の中ですくすくと育っていきます。ところが突然ハイジはフランクフルトのお屋敷に連れて行かれ、病弱で足の悪いクララお嬢さまのお相手役としてくらすことになります。クララやゼーゼマン氏は喜んでくれますが、ロッテンマイヤーさんには厳しく注意される毎日。自由に外へも出られない生活がハイジに合うはずがありません。ハイジはアルムに帰りたくてたまらないのに、夢遊病になってしまうくらい自分の気持ちを押さえこんでしまいます。自分がアルムに帰ってしまえば、今では大事な存在になったクララやクララのおばあさまたちが悲しむことを、よくわかっているのです。それでもアルムの大自然と大好きなおじいさんが恋しいのです。会えない間に、自分を待っているペーターのおばあさんは死んでしまうかもしれません。完訳本ではこのハイジの葛藤が丁寧に書かれ、私もハイジとひとつになって同じ気持ちを味わいました。

 病気になったハイジは、やさしいお医者様の配慮もあって、アルムへ帰ることになりました。どれだけうれしかったことでしょう。アルムに帰ったハイジは、ペーターのおばあさんのところへとんで行きます。ハイジが歌の本を読んで聞かせると、目の見えないおばあさんは幸福感に包まれ涙を流します。若い頃の出来事から偏屈になっていたおじいさんも、ハイジと一緒にまた教会へ足を運ぶようになります。ハイジに文字を読むことを教えてくれたのも、神さまを信じることを教えてくれたのも、クララのおばあさまでした。ハイジを理解し支えてくれるクララのおばあさまの存在の大きさが深く心に残りました。

 そして翌年には、フランクフルトからクララやおばあさまたちがアルムへやって来ます。そこで起きた感動の出来事は、皆さんもすでにご存知のことと思います。

(『ハイジ』上下 ヨハンナ・シュピリ作 上田真而子訳 岩波少年文庫 小学4・5年以上)         

地下の洞穴の冒険

 

 1950年頃のイギリスの物語です。題名通り、5人の少年が地下の洞穴の冒険をする話なのですが、それぞれの個性がわかりやすく書き分けられていて読みやすいです。

 楽しいはずの夏休みに、ジョンは家の事情で叔父の家にやられます。ぼんやり過ごしていたある日、地下へ続く洞窟の入口を偶然見つけます。ジョンは、隣家の少年ジョージに誘われて入った秘密クラブの仲間たちと、懐中電灯やカンテラを手に、長くて暗い洞窟へと入っていきます。

 ここで五人の少年について紹介しましょう。ジョンは冷静で責任感が強く、仲間に的確な指示が出せる少年です。危険なことは自分が引き受け、仲間をフォローすることも忘れません。ハロルドはちびでせっかち、あだ名は稲光。考えるより先に行動するため失敗もしますが、へこたれない明るさの持ち主です。カスバートはいつも食べ物のことを考えていて、あだ名はふとっちょ。ひどいことをされても、最後は相手を思いやる気のいいやつです。アランはリーダーになりたくて常に支配的なもの言いをしますが、実際は怖がりでかんしゃくもちで弱い面をもっています。

 私が一番好きなのはジョージ。家庭的には問題を抱えていますが、大事なことはちゃんとわかっている子です。ふだんは静かで穏やかで、しかし言うべき時にはちゃんと意見が言え、友達を助けるためなら何としても前に進もうとします。ジョージの家は貧しく、探検に必要な懐中電灯さえ用意できません。それでも古いカンテラをきれいに磨き、すぐ使えるようにしてきます。兄から借りたひきずるような防水外套を着て登場するジョージは、外見こそさえませんが、縄梯子を作ってくるなど考えはなかなかいいのです。探検中に起きた思わぬトラブルのため、途中からジョンと稲光の二人組、ジョージとアランとふとっちょの三人組とに分かれて進むことになってしまいます。怖れと不安でかんしゃくを起こすアランにジョージは言います。「ジョンと稲光はどうあっても救わなきゃいけない。きみが生命がおしいのなら、もどったらいいよ」「古ぼけたカンテラひとつしかなくたって、先頭に立って二人を探しに行くんだ」この言葉にしびれました。

 この本を読んだ友人に「誰が好き?」ときいたら、「ジョンもジョージももちろんいいけど、稲光やふとっちょもいい味出してるし、アランだってこうして成長していくんだって思ったら愛おしく思えたわ」と返ってきました。私もほんとにそうだなと思いました。ジョンとジョージの互いへの信頼や五人それぞれの持ち味、それにジョンの叔父さんの存在もいいし、5人と一緒に冒険をやりとげたような満足感を味わえる本だと思います。

(『地下の洞穴の冒険』リチャード・チャーチ作 大塚勇三訳 岩波少年文庫 高学年から)

小さい牛追い

小さい牛追い

 草がぐんぐん伸び始める頃になるとこの本を読みたくなります。オーラやエイナールが初めての牛追いを前に心をはずませていた気持ちがわかるからでしょうか。

 ノルウェーのランゲリュード農場に住む、両親と四人きょうだいの物語です。オーラ10歳、エイナール8歳、インゲリド7歳、マルタ5歳。上の二人が男の子、下の二人が女の子です。一家は村じゅうの牛やヤギを預かり、山の上の牧場でひと夏を過ごします。毎朝牛たちをおいしい草のある場所へ連れて行き、日暮れには一匹残らず連れて帰るのが牛追いの仕事。それを8歳や10歳の子どもが一人でこなし、お駄賃まで稼ぐのですから、当時の生活ぶりや子どもたちのたくましさに驚かされます。

 今年、オーラとエイナールは初めて牛追いをまかされ、はずむ気持ちを抑えきれません。六月初め、いよいよ山の上の牧場へ行く日がやってきました。まだ皆が寝ている早朝とび起きた二人は、外へ牛たちを見に行きます。朝露に濡れた草も二人の心もキラキラ光っています。それからの20キロの山道。20匹の牛、それにヤギたち、小さい妹たちと飼っている子ブタも連れて大騒ぎの大移動です。ひと夏男の子たちは一日交代で牛を追い、牧場の仕事をする両親を助けて実によく働きます。

小さい牛追い

  この本を読んだ人たちの多くはエイナールの魅力にはまります。エイナールは本当に天真爛漫。ありのままにしているだけで誰からも愛される子です。一方長男のオーラは一人で本を読むのが好きな子。自分よりエイナールの方が、家族からも周りの人たちからも好かれていると感じています。素直になれないオーラ。いらいらしてエイナールに意地悪してしまうこともあります。エイナールが牛追いから帰って来なかった日。必死に探すオーラ。「もし神さまが、こんどだけ、エイナールをかえしてくだされば、ぼくは、もうけっして―けっして―」祈りながら泣き出すオーラの気持ちが痛いほどに伝わり、何度も読み返した場面です。自分の中のいろいろな感情に悩むオーラも愛おしい子だと思います。

 自然の中でよく働きよく遊び、日々成長していくきょうだい。子どもたちを温かく見守る両親の存在があればこそです。愛情豊かなお母さんは、作者マリー・ハムズンその人だと思えてきます。

 秋から冬にかけてのお話は、続編『牛追いの冬』に書かれています。末妹マルタが肺炎になったこと、『小さい牛追い』にも登場した少女インゲルとオーラのその後、そしてインゲルの身には大きな出来事が起こります。こちらもおすすめです。

(『小さい牛追い』マリー・ハムズン作 石井桃子訳 岩波少年文庫 小学4・5年以上)

ゆうかんな女の子ラモーナ

ゆうかんな女の子ラモーナ1

 今回紹介するのは、アメリカ児童文学の傑作「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」(全14巻)の中の一冊です。作者はベバリイ・クリアリーさん、訳者は松岡享子先生です。東京子ども図書館名誉理事長、子どもと本を何よりも愛された松岡先生は私の尊敬する方。『くまのパディントン』など子どもの本の翻訳もたくさんなさっています。

 松岡先生が2022年に亡くなられた後、松岡先生の本ばかり読んでいました。ヘンリーくんシリーズも2か月かけて全部読みました。読みふけりました。ヘンリーくんを主人公に始まったシリーズは、後半になると、ヘンリーくんの友達ビーザスの妹ラモーナが主人公の物語になっていきます。ラモーナは2巻目から登場し、初めは周りを手こずらせる困った子として描かれます。そんなラモーナが失敗を繰り返しながら、豊かな感情をもつ個性的な女の子に成長していく姿が生き生きと描かれます。出版順でなくてもおもしろく読めますので、まず読んでみるなら9巻目のこの本をおすすめします。

ゆうかんな女の子ラモーナ2

 この巻ではラモーナが一年生になり、はりきって学校へ出かけますが先生や友達とうまくいきません。保護者会の日に見てもらうため紙袋でふくろうを作る時間。ラモーナのふくろうを隣の席のスーザンがまねしてきます。けれど先生はスーザンのふくろうをみんなの前でほめました。これではラモーナがまねしたみたいです。ラモーナは自分のふくろうをくしゃくしゃにしてゴミ箱に入れ、スーザンのもつぶしてしまいます。この時のラモーナの気持ちがありのままに書かれています。

 聞き分けのよい子がいい子と考える人にとっては、ラモーナは面倒な子です。通知表に「自制心をもつように」と書かれたことに納得できないラモーナ。お母さんが「どうしたらいいのかしらねえ、おまえのことは」とつぶやくと、ラモーナは言います。

「かわいがってくれたらいいんだよッ!」

「(お母さんたちが)かわいがってるのはビーザスじゃないか」

 声に出してハッとして、でも胸につかえていたことが言えて少しらくになって、それからラモーナと家族は本音で話し合います。この家族、素敵な家族だなと思います。

 多くの子どもたちに、自分の気持ちをわかってもらえなかった経験があるでしょう。私にもあります。ラモーナが自分の分身のように思えて、抱きしめたくなりました。松岡先生がこの本を日本の子どもたちに訳してくださった気持ちもわかるなあと思うのです。

(『ゆうかんな女の子ラモーナ』学研   ベバリイ・クリアリー作 松岡享子訳 小学2・3年から)

ゆうかんな女の子ラモーナ3

二年間の休暇

二年間の休暇

 松江市出身の作家、小前亮氏をご存知ですか。昨秋、島根県図書館大会において基調講演をされました。子ども時代図書館に通ってたくさん本を読んだ経験を語られ、当時一番好きだった本として挙げられたのが、フランスの作家ヴェルヌのこの本でした。抄訳の『十五少年漂流記』(ある訳者がつけたこちらの題の方が有名ですね)を読んだことはありましたが、小前氏推薦の完訳版で改めて読んでみました。なおタイトルは原題通り訳すと『二年間の休暇』となるそうです。

 時は1860年2月、イギリス領ニュージーランドのチェアマン寄宿学校。2か月の休暇。一部の生徒たちはスクーナー船でニュージーランドを一周する計画でした。出発前夜、少年たちが船に乗り込み、水夫たちが酒場へ行ってしまった後、何故かとも綱がほどかれ、船は沖へと流されてしまいます。乗っているのは14歳から8歳の寄宿学校生14人と黒人の見習水夫モコ、それに犬のファンだけ。やがて嵐にあった船は、帆が飛ばされマストは折れ、波間を漂います。少年たちは必死に船を守り、無人島にたどり着きます。

 命は助かったものの、船は壊れているし、自分たちがどこにいるのかさえわかりません。食べるものや住むところはどうするのか、ここを出て帰ることはできるのか、少年たちの生きるための闘いが始まります。

 中心になるのは年長の3人の少年です。慎重で冷静なゴードン。勇敢で親切、年下に慕われるブリアン。負けず嫌いでブリアンに反発するドニファン。少年たちは時にぶつかり合い、また助け合いながら、自分たちで規律を作り、島での集団生活を築いていきます。

 完訳版はかなり長い話ですが、少年たちの生きるための知恵や工夫が見事で、おもしろく読めます。洞穴を掘り、探検をし、鳥や魚などをとって料理します。野生の植物から酒や砂糖をこしらえ、アザラシから燃料油をとります。零下30度にもなる厳しい自然の中で生き抜き、大統領選挙やスケート大会など自分たちで考えを出し、楽しみさえも生み出していくたくましさに目をみはります。 

二年間の休暇

 後半はブリアンの弟ジャックの秘密が明かされたり、船が難破した悪い一味が島に上陸してきたりと、話が大きく動きます。ここから少年たちと悪い一味の攻防が始まるのですが、少年たちの知恵と勇気、互いを思う気持ち、希望を捨てない強い意志に感動させられます。題からわかるように、無人島での生活は2年間で終わるのですが、果たして少年たちはどうやって帰国するのでしょうか。最後まで目が離せません。

(『二年間の休暇』ジュール・ベルヌ作 福音館古典童話シリーズ 高学年から)

ライオンと魔女

ナルニア国物語 1

氷の女王

 「ナルニア国ものがたり」は、イギリスの作家C・S・ルイスが書いた有名なファンタジーです。全7巻を通して読むとひとつの大きな物語として楽しめますし、どの巻も独立した物語なので1冊ずつ読んでもおもしろいです。今回は第1巻の『ライオンと魔女』を紹介します。

 私たちが住んでいる現実世界の子どもたちが、ナルニアという全く違う世界へ行くお話です。ナルニア国は偉大なライオンであるアスランによって創られ、ものいうけものや小人、巨人などが住む不思議な国です。

 ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの四人兄弟は戦争中田舎に疎開し、老学者先生の屋敷に住むことになりました。広い家を探検していて大きな衣装だんすを見つけます。ルーシィがひとりたんすを開けて、かかっている外套の奥に足を踏み入れると、そこは真夜中の森でした。たんすの奥が別世界につながっているなんて!この場面がなんとも印象的で、最初から心をつかまれます。

 ルーシィはこの森で、上半身は人間で足はヤギのフォーン(タムナスさん)と出会います。ルーシィはタムナスさんの話から、ここはナルニアで冬が続いていること、それは白い魔女のせいであることを知ります。元の世界に戻り、兄姉にナルニアの話をしても信じてもらえません。ですが、次はエドマンドとルーシィが、その次は四人兄弟がそろってナルニアに入ります。そして子どもたちはものいうけものやアスランと一緒に、白い魔女と戦うことになるのです。

アスラン、スーザン、ルーシィー

 

 子どもの頃読んだ方も久しぶりに読み返してみませんか。まだ読んでいない方も、この作品がどうしてこんなに愛されるのか、読んでみてください。私は大人になってからこの本と出合いましたが、四人それぞれの気持ちが自分のことのようにわかる気がしました。ナルニアへ行ったルーシィが兄姉に信じてもらえない寂しさ。エドマンドがピーターの一言に意固地になってしまう気持ち。そんなエドマンドを助けようとするピーターのこと。スーザンとルーシィがアスランとたわむれる場面のこれ以上ない喜びも。

 子どもだった頃のいろんな経験や気持ちは、何歳になっても自分の中に残っています。だから大人でも児童文学を楽しめるのでしょう。作者ルイスも、自分が子どもだった頃の気持ちを忘れずにいる人だったに違いありません。

(『ライオンと魔女』ナルニア国ものがたり1 岩波少年文庫 C.S.ルイス作 瀬田貞二訳 小学4・5年以上)

あらしの前/あらしのあと

あらしの前/あらしのあと

 この本を手に取ったきっかけは、斎藤惇夫さんの著書『子ども、本、祈り』を読んだことです。子どもの本の編集に長く携わられ、ご自身も『冒険者たち』(アニメや舞台「ガンバの冒険」の原作としても有名)などを書かれた斎藤さんが、この本を「生きる指針となった物語」と紹介されていたのです。斎藤さんのおかげで、今まで読まなかったことが悔しくなるほど良い本と出合うことができました。

 オランダの静かな村で暮らすオールト一家の、第二次世界大戦をはさむ数年間の物語です。お父さんファン・オールトは親切なお医者さん。やさしく芯の強いお母さん。個性豊かな六人の子どもたち。長女ミープはしっかり者で、社会事業学校で学んでいます。音楽好きでピアノの練習に励む長男ヤープ。次男ヤンは勉強嫌いで心配をかけていますが、あることをきっかけに父と同じ医者をこころざします。次女ルトは感受性豊かな少女。はにかみやですが魅力的で、私の一番好きな登場人物です。それにいたずら盛りの三男ピムと、生まれたばかりの赤ちゃんアンネ。

 幸せにくらしていたオールト一家のもとに、ドイツから逃れてきたユダヤ人少年ヴェルナーが加わります。やがて、ここなら安全と思われた静かな村にも、戦争という「あらし」がおそいかかります。ミープは怪我を負いながらも夜通し車を走らせ、病気療養中のルトを家に連れ戻します。そして休む間もなく、今度はヴェルナーをナチスから逃がすために、また車を走らせるのです。

 オランダの作家ヨングさん自身も、ナチス侵入の数日前にオランダを離れて命をつなぎ、その後アメリカに渡って作品を発表した人です。

 『あらしのあと』では、ナチス占領から六年後が描かれます。もう戦争は終わっていますが、子どもたちにはそれぞれ戦争の影響が色濃く残ります。ヤープは、ヤンは、ルトは、どうしているでしょう?ミープは無事だったのでしょうか?ヴェルナーは生きているでしょうか?ここに結果だけ書いても伝えきれないものが多すぎるので、ぜひこの2冊を読んでみてください。確かに言えることは、オールト夫妻も、子どもたちも、そしてヴェルナーも、あらしに翻弄されながら一生懸命生きたということです。

 ウクライナやガザの人たちのことを思う時、日本でも戦争があったことを思う時、この物語がよみがえってきます。今こそ読んでほしい本です。

あらしの前/あらしのあと

『あらしの前』『あらしのあと』ドラ・ド・ヨング作 吉野源三郎訳 岩波少年文庫 小学5・6年以上

ドリトル先生航海記

ドリトル先生航海記 筏で漂流

 ドリトル先生のシリーズは13冊出ていますが、1冊目は『ドリトル先生アフリカゆき』、2冊目がこの『航海記』です。私は『航海記』の方が好きなのでこちらを紹介します。1冊目から読んでも、『航海記』から読んでも楽しめます。            

 小学生の私は、ドリトル先生のことが大好きで、心から尊敬していました。先生は動物の言葉が話せるお医者さんで博物学者。度々長い旅に出かけていきます。

 ドリトル先生の家には、先生を慕う動物たちが次々にやってきます。中でもオウムのポリネシア、犬のジップ、あひるのダブダブ、猿のチーチーは先生と共に暮らし、先生を家族のように支えています。トミー・スタビンズ君という少年がドリトル先生の助手をつとめることになるのですが、先生のお手伝いができるスタビンズ君がうらやましくてたまりませんでした。特に印象に残っている場面があります。たどり着いたクモザル島で、この物語の重要な登場人物ロング・アローとドリトル先生が対面を果たす場面です。

アメリカ先住民で博物学者のロング・アローは、山から落ちてきた大きな岩のために洞窟に閉じ込められていたのです。ドリトル先生たちの懸命の捜索で無事生還を果たしたアローに、ドリトル先生が歩み寄る場面。互いを尊敬し合っている二人の対面に感動が広がります。

 もうひとつは、船が難破した先生一行が、大ガラス海カタツムリの殻に入って帰るところです。家ぐらいある大きなカタツムリで、殻はガラスのように透き通っています。海の中を眺めながらの楽しい帰路の旅。不思議で、おもしろくて、ここも好きな場面です。

 この本を読み返していたら、知り合いのTさんが「あっ、ドリトル先生航海記!」と声をあげました。「子どものとき読んだよ」と声が弾んでいます。家にあった児童文学全集で「航海記」を読み、おもしろくなって全巻読んだと言うではありませんか。他にはどんな本を読んでいたか、ひとしきり話がはずみました。

「子どもの頃は本がおもしろかったな~」とTさん。私も同感。いい歳になった今だって児童文学はとてもおもしろいけれど、子どもの頃はもっと夢中で読めた気がします。

 だから、子ども時代に良質な児童文学と出合うことは幸せなことだと思うのです。子どもと一緒に本を楽しんでくれる大人が一人でも増えますように、と願いながらこの文章を書いています。

ドリトル先生航海記 戦い

(『ドリトル先生航海記』ヒュー・ロフティング作 井伏鱒二訳 岩波少年文庫 小学3・4年以上)

宝島

宝島 海賊ジョン・シルバーとジム・ホーキンス少年

 『宝島』は冒険小説の名作中の名作と言われています。数年前、読書家の先輩に勧められた本ですが、冒険ものは好みでない私は、あまり期待せずに読み始めました。しかし予想外のことが起きたのです。まだいくらも読まないうちに、海賊たちの荒っぽい話し声や、煙草とラム酒とタールのにおいを感じ、男たちがしゃがれ声で歌う船歌が、すぐそばから響いてきました。

 亡者の箱にゃあ15人 

 えんやこらさ、おまけにラムが一瓶よ!

 今でも『宝島』と聞くとこの歌がよみがえり、頬に刀傷を持つ男や、黒丸が書かれた呼び出し状、そして宝島の地図が浮かんできます。

 物語は、ジム・ホーキンズ少年が一人称で語る形式をとっています。ある日、ジム少年の父親が営む宿屋「ベンボー提督亭」に怪しげな老水夫が現れます。男はやがて死に、宝島の地図が残されました。その島にはフリント船長率いる海賊団が集めた財宝が隠されているらしいのです。ジム少年は、医者のリブジー先生や地主のトリローニさん、トリローニさんの使用人たち、それにスモレット船長をはじめ雇われた水夫たちと一緒に、ヒスパニオーラ号で宝島へ向けて出航します。

 雇われた男たちの中でひときわ強い印象を与えるのが、料理番のジョン・シルバーです。

宝島 海賊

 一本足で大柄、オウムを飼っているこの男。撞木杖を器用に操り、手際よく料理を作るだけでなく、面倒見がよく、気もきいて、なかなかに魅力的な人物。ジムにも声をかけていろいろな話を聞かせてくれます。

 ところがある日、甲板に置いてあるりんご樽の中で眠り込んでしまったジムは、大変な秘密を聞いてしまいます。雇われた水夫たちの多くは実は海賊で、ジョン・シルバーはフリント海賊団の元一味、海賊たちは財宝を自分たちのものにするため、島に着いたら反乱を起こそうと相談していたのです。

 秘密を知った少年はどうするのでしょうか。島に着くと謎の男ベン・ガンも登場します。それからは、誰が敵か誰が味方か、手に汗にぎる攻防戦。大人たちはもちろんですが、ジム少年が死ぬか生きるかの思いきった行動に出る場面など、最後までハラハラし通しです。悪役ですが魅力的なジョン・シルバーからも目が離せません。果たしてジムたちの運命は?

宝島 ジム・ホーキンス少年とベン・ガン

 この本が出版されたのは1883年。140年も前ですが、古くは感じません。読み継がれ残っているのはおもしろいから!「亡者の箱にゃあ十五人」の歌が聞こえてきたら、あなたもジムと一緒に宝探しの航海に出ることになるでしょう。

(『宝島』R・L・スティーブンソン作  福音館文庫 小学校上級以上)

ふたりのロッテ

ふたりのロッテのイラスト

 ケストナーの作品をもう一冊紹介したいと思います。ケストナーがナチスによる迫害を受け、出版を禁じられていたことは前回書きました。やっと戦争が終わり、『ふたりのロッテ』は1949年に出版されました。

 美しいビュール湖のほとりにある少女のための宿泊施設。ここで夏休みを過ごすルイーゼの前に、自分とうりふたつの少女ロッテが現れるという衝撃の出来事から物語は動き出します。

 この本を私は小学校高学年の時に読みました。その頃は双子で生まれること自体が不思議で特別なことと思っていました。しかもルイーゼとロッテはお互いの存在を知らずに、9歳で奇跡的に出会うのです。顔はそっくりだけど、性格には違いもあります。巻き毛をたらしたルイーゼ・パルフィーは、ウィーンで父親と暮らすおてんばな子。おさげをきちんと結ったロッテ・ケルナーは、ミュンヘンで母親と暮らすまじめな子。初めこそ戸惑いますが、急速に仲良くなっていくふたり。互いの生まれた日や場所が同じだとわかり、自分たちが双子だと確信します。一方で両親の秘密も明らかになっていきます。

 私は5歳頃の記憶がけっこう残っているのですが、両親が話していた親戚の家の問題や実家の商売のことなど、大人が思う以上に理解していました。同時に、大人の事情に子どもが口をはさむのはいけないことだと思っていました。

 ところがルイーゼとロッテは大胆な計画をたてるのです。髪型をかえて、ロッテはウィーンの父親の元へ、ルイーゼはミュンヘンの母親の元へ、入れ替わって帰ろうというのです。性格の違いから気づかれてしまうかもしれません。それでも、覚えていないもうひとりの親に会ってみたいと考えるふたりの気持ちは痛いほどにわかります。「私のお父さんは(お母さんは)どんな人?」「どうしてふたりは別れたの?」「子どもだって知る権利があるのよ!」ふたりの心がそう叫んでいるように感じて、ドキドキしながら読んだ覚えがあります。そして、この思いきった行動が両親を巻き込み、ばらばらになっていた家族に思わぬ展開が待っています。

 初読から50年たってもう一度読んでみましたが、やっぱりおもしろかったです。今回は、双子の気持ちだけでなく、大人の気持ちにもなりながら読んでいる自分に気づきました。子どもが読んでも大人が読んでも、それぞれのドキドキ感がある物語です。

(『ふたりのロッテ』 エーリヒ・ケストナー作  岩波少年文庫 小学4・5年から)

飛ぶ教室 

出会いの場面

 児童文学は子どもが読むものと思っていませんか?児童 文学は決して子どもたちだけのものではありません。本当 に良質の児童文学は、子どもはもちろん、大人が読んでも 十分におもしろい のです。子どもの頃に好きだった物語を 読み返してみるのも、人生の楽しみのひとつだと思いま す。親子で同じ本を読むのも楽しいでしょう。ここでは、おすすめの名作児童文学を紹介していきます。

『飛ぶ教室』はドイツの寄宿学校を舞台にした物語です。 長い前書きがあって(しかも二つ)、なかなか話が始まら ないなと思うかもし れませんが、そこは心配ご無用。一章 からはどんどんお話が動きだして、目が離せなくなりま す。

 主役の5人の少年たちは、15歳くらいでしょうか。詩の 才能をもつヨーナタン(愛称ジョニー)には両親がいません。いつも腹をすかしているボクサー志望のマティアス (マッツ)は、友だち思い。裕福な家に生まれたウーリ は、臆病な自分を責めています。孤独な心をもつクールな ゼバスティアーン。そして秀才のマルティンは、家の貧しさ に人知れず苦労しています。この5人の少年が、実業学校 生とはりあったり、それぞれの悩みに向き合ったりしなが ら、日々成長していく姿がいきい きとえがかれています。 

 『飛ぶ教室』は私が小学五年生の頃一番好きだった本です。当時のダイ ジェスト版が実家に残っていたので読み返しました。 するとたちまち時を飛び越えていました。覚えていたのです。挿し絵も、登場人物の名前も、忘れられない場面も。子どもの頃に心に 沁みこんだ物語は、50年を経てもちゃんと自分の中に残っていま した。マティアスが実業学校の生徒と一騎打ちをするところ。ウーリが勇気を見せようと思いきった行動に出る場面。そしてみんながクリスマス休暇の帰省列車に乗る時に、旅費が届かなかったマルティンが流す大粒の涙。五年生の自分が一緒に流した涙が、昨日のよう に思い出されました。その後流した、今度は温かい涙のことも。

 『飛ぶ教室』には重要な二人の大人も登場します。正義さんと呼ばれる先生と、生徒たちの相談相手である禁煙さんと呼ばれる男性 です。この二人の絆がもう一つの物語となっています。子どもの心をわかってくれる大人の存在がいかに大切かを思います。

 ケストナーがこの物語を書いたのは1933年。その後ナチスによって出版を禁じられたり本を焼かれたりもし ましたが、正義の心 を持ち続けた人です。前書きを読み直すと、「子どもだって不運や 悲しい ことに合う」「どうかくじけない 心をもってくれ」と語りかけ るケストナーの声が聞こえてくるようです。

『飛ぶ教室』  エーリヒ・ケストナー作  岩波少年文庫 小学4・5年から)