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 7月9日、15名の参加を得てテクノアークしまね中会議室にて第一回活活寄席を開催しました。塾長、副塾長の話の後、有馬毅一郎先生にトリを務めていただきました。

 私は、佐田のポツンと一軒家のようなところで生まれ育ちました。田舎育ちは自分にとって誇らしい財産です。
 今は、少しでも多い方へ、都市に近い方へ、と望む時代に生きています。それはなぜなのか。それは真実なのか。私はそうは思わない。これからの時代は、高尾小のような小さな学校で育った子どもが活躍するでしょう。なぜなら、小さな学校は、教育の基本的な活動ができますが、大きな学校ではそれが難しい。田舎の学校の方がいい教育ができる可能性が高い。例を挙げましょう。平田の鰐淵小学校猪目分校(21013年廃校)では、カジカガエルの研究論文を20年にわたって出し続けました。世界中こんなハイレベルの研究をしたところはありません。世界の文化遺産と言っても過言ではない。そこに赴任してくる先生もカジカガエルについて知りません。大人も子どもも対等な立場で研究して育つのです。こんなことができる(教育環境や文化の)総体がすごいことなのです。高尾小学校の日常にも同様のものがあります。1年生から高座に立ってお客さんの前で落語をする。普通考えたらできないです。でも、先生が少しずつ能力を伸ばして広い地盤を築き育てています。一人一人に違った対応をして育てています。これが30人も40人もいたらできません。以前、知夫中バレーボールはとても強かった。全校で男子が6人しかいないのに郡や県の大会で活躍するのです。なぜできるのか。つまり、やればできるのです。高尾小もやればできる、でできているのです。
 山を高くするには、裾野を広げなければなりません。裾野を広げた育ちをさせるためには、大人が賢くならねばなりません。
 教育の原点は、1対1です。一人一人の違いをどれだけ大事にするか、です。集団に入れておけば切磋琢磨すると思われているがそれは本当でしょうか。たとえ1対40の教育であっても、その中に1対1がどれだけあるかが問われるのです。
 明治の学校は、複式学級が当たり前でした。子どもが生まれ育つところで勉強させました。今は、経費を減らすためにまとめようとする。はたしてどっちがよいのか日本人は分からなくなってきています。
通常の学校は同年齢の「ヨコ」構造です。しかし、世の中は家庭も社会も「タテ」構造です。ヨコばかりで同質化、均一化が進んでしまえばタテに弱くなるのです。私は十数年前にある財団から相談を受けて私塾を立ち上げました。ここでは学校では学びきれない目標や内容を掲げ「自然」「郷土」「伝統文化」に学ぶことを柱にし、3学年いっしょに学んでいます。このような一人一人に応じた教育を意識的につくっていくことが大切なのです。

有馬毅一郎先生