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尋常小学算術第一学年児童上の一部

 現在検定合格している算数の教科書は六社ありますが、戦前は文部省図書監修官が国定教科書としてたった一つの教科書を作成していました。

 その国定制度下において、のちに伝説の算数教科書と呼ばれるものが誕生しています。それは、昭和十年から使われた『尋常小学算術』通称緑表紙本と呼ばれるもので、島根県出雲市出身の塩野直道先生によるものでした。

 この教科書が「伝説の…」と呼ばれるようになったのは、昭和11年にノルウェーオスロで開催された国際数学者会議において絶賛を博したからです。

 その世界から認められた伝説たるゆえんはいくつもありますが、まずはその美しさに目を見張ります。私は平成20年に再復刻版を求め、手にしましたが、その時の感動を忘れられません。

 小一上は挿絵の範疇を超えた絵と数字のみで、説明的な文章は一切ありません。2分かけてパラパラめくってみても感動しますが、2か月かけて授業することを想像するとワクワクが止まりません。一言の説明がなくても、むしろ、ないからこそ数理思想を育む扉をどう開けてどう歩み出すべきかが明確に示されていると思います。

 私の教育観も変わりました。180度変わったという転換点ではなく、照準が0.2度ほど補正されたような感覚です。今後も精度を究めて算数と向き合います。


塩野直道先生の崇高な数理思想

 

伝説の教科書「緑表紙」、その伝説たるゆえんその二のお話です。

 小一上巻の全ての頁が美しい絵で構成されている緑表紙本ですが、文字がないということは、幼児期との接続に配慮せよという、今のスタートカリキュラム的な意味を持っているのでしょうか。もちろん塩野先生の視野には入っていたと思いますが、私は、もっと高い次元を感じました。「空高くへと子どもたちを導いて算数の世界を俯瞰サセナサイ、小一上巻はその滑走路として取り扱ヒナサイ。」いったような。

 では、緑表紙がどれだけの高みまで導いていくのか見てみましょう。

問題

「あるところに1本の木が生えた。最初の1年に高さが1メートルとなり、次の1年に50センチのび、その次の1年に25センチのびるというように、毎年その前年に伸びた長さの半分だけ伸びるものとすると、この木はどこまで伸びるであろうか。」

緑表紙本巻末問題

   これは、小6下巻の巻末問題です。

 どうです?すごいでしょ。小学生で極限をとりあつかっています。しかも、有限です。2メートルに収束する場面の問題です。当時の子どもたちは、いったい何年まで調べていったのでしょうか。

 今の子がこの問題に出会ったならばどうでしょう。知ったかぶりで「無限」と言って、試しや調べをおっくうがる子どもならば、塩野先生の数理思想には到底たどり着けません。

 私たち松江算数活塾は、できれば10年、少なくとも7年目までを調べてみてから考えるような子どもを育て、塩野先生の期待にこたえたいと思います。

 では、伝説たるゆえんの二つ目は、…

塩野直道先生が残されたもの

塩野直道先生

 

 昭和10年から使用された緑表紙「尋常小学算術」が、島根県出身の塩野直道先生によって作り上げられたというお話をシリーズでしております。

 その少し前、昭和8年から使用された国語の教科書、「サイタサイタサクラガサイタ」の「サクラ読本」も、島根県出身の井上赳先生によって作り上げられました。

 同時期に国語と算数の国定教科書が島根県出身の文部省図書監修官によって編纂され、どちらも不朽の名教科書と呼ばれることは、島根県の小学校教員が誇りとするところです。

 しかし、その教科書も大戦下において新たな教科書に変わり、終戦後の墨塗り時代、暫定本時代を迎えてしまいました。新たな学習指導要領の策定も進みましたが、お二人の先生はそのレベルの低さに驚愕し、嘆かれました。

 そこで、井上先生は日本書籍から「太郎花子国語の本」という新企画の教科書を、塩野先生は啓林館の取締役に就任し、「算数」「数学」教科書編集を主宰されました。どちらも学習指導要領の水準を超える気概あふれるものでした。

 こうして日本が教育分野においての戦後復興を短期間で遂げることができたのも、島根県が誇る両先生が、後回しになりがちな初等教育ダメージを最小限にくい止め、レベルアップを図ってくださったからこそと思います。

 塩野先生は、昭和41年の日数教大会で、算数教育の目的を「数理的な面を通して人間の知性を開発する」と講演しておられます。私たち松江算数活塾は、高いレベルとクオリティーを守る使命を自覚し、人間の知性を開発する役目を担いたいと考えています。

            (塾長 川上宜久)