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落語「転失気」のイラスト

 「てんしき」と読みます。どういう意味なのかは、ひとまず置いといて。

 昔、何かの本で読んだのですが、巨匠黒澤明は、スタッフや俳優に問いかけたとき、あいまいな返事が返ってくると「知らないことは、知らないと言いなさい」と強く叱ったそうです。新人ならいざ知らず、それなりの立場を得た人にとって、「知らない」は言いにくい。いい映画を撮りたければ、つまらぬこだわりを捨てよ、という黒澤明の端的なメッセージです。やはり現代を代表する映画監督のクリント・イーストウッドは、今も映画を撮るとき、誰彼構わず「私は何にも知らないので教えてください」と言うのだそうです。

 もしかすると、この「知らない」の尊重がよい仕事をする秘訣なのかもしれない、と考えるのですが、もちろんだれもがそんなに謙虚になれるはずもなく、時と場合によっては妙なプライドを大事にして威圧的な態度を取ってしまうことだってありましょう。これが落語では格好の攻撃対象になります。それなりの立場にある人、武士、お坊さんなど、そういう人物造形をされて、徹底的に茶化されます。

 自他共に認める「物知り」である和尚様。物知りと讃えられるがゆえに「知らない」が言えなくなってしまいました。お医者様の診察を受けたら、

「時に和尚様、転失気はございましたかな?」 

と尋ねられました。和尚様、このいかにも漢語調の言葉の響きに「てんしきとは何ですか」と聞くことができません。その場は適当にあしらうものの、気になってならず調べようとするのですが、さすが落語の登場人物、姑息な手段に出ます。小僧の珍念さんに調べに行かせるのです。「自分は知っているんだが、お前の修行のために」と。ミスターお為ごかしです。

 初めは和尚様の言うことを信じて聞いて回っていた珍念さん、ついに真相に気づきます。ここで素直に「和尚様、てんしきとは…」と申し上げるような人物は子どもといえど落語には出てきません。ここからお医者様を交えて和尚様と珍念の丁々発止のやりとりがこの話の聞き所です。最後は珍念にギャフンと言わせられるのですが、そんな和尚様を珍念はどこか慕っているふうなのが、またまた極めて落語的です。子どもにそんな複雑な関係が演じられるのかと思われるかもしれませんが、子どもが語るから描けるということもあるなあ、と高尾小の子どもたちを見ていて思いました。

 ちょっと、いや、かなり尾籠な話なのですが、子どもたちにぜひやってもらいたい演目の一つです。立場はどんなに隔たりがあったとしても人と人、友達になれないはずはない、心のどこかにそんな思いを潜ませてくれるような気がするので。

 さて、転失気のほんとうの意味は。

 それは活塾の噺家さんがいつか高座にかけるまでのお楽しみ、ということで。

           (宮森健次)